ジビエ料理

11-1京都祇園の料理屋、カウンター席に座って伏見の酒を燗で一杯やっていると、一席おいて右隣のご夫婦が、店の主人と京都の言葉で器のことなどを親しげに話している、ということを話には聞きます。ここは私が世界中でいちばん旨い物が食べられると思っている場所です。しっかりと昆布が主体のだしのきいた料理には、四季それぞれに味わい深い多種多様の食材が上手に生かされています。この店で料理をする人を始め、丹後でアマダイやズワイガニを獲る人、瀬戸内海で鯛を獲る人、玄界灘でフグを獲る人、あるいは京野菜をつくる人、丹波の栗や豆をつくる人など、非常にたくさんの人の時間と手間の集積がこの素晴らしい料理をつくるのだと思います。

食事も進んでお腹もだいぶふくれてきた頃、丹波の猪のすきやき風が出ました。するとお隣から「これ猪ですか?全くくせがのうてやわくて、脂も甘くてうまいですなー」との声。私も「ほんとにおいしい物ですね。」と、調子を合わせましたが、こんな食通の人でも野獣の肉はくさい、きついという印象を持っているのかと少し驚きました。

ジビエとは皆様ご存じのとおり仏語で、狩猟によって食材として捕獲された野生鳥獣のことであり、鳥類では鴨やキジやヤマシギなど、獣類では野兎や鹿、イノシシなどが代表的です。

毎年秋も深まって、風が冷たくコートがほしくなる頃、野生鳥獣は冬に向かって体に栄養を蓄えます。それに合わせて狩猟が解禁され、ジビエのシーズンとなるわけであります。

秋の味覚である栗や山葡萄などの木の実や、野生のきのこ類などと合わせて料理されることも多く、それらを飲み頃のブルゴーニュの赤ワインとともに口に含めば、居ながらにして遠く山野の情景が彷彿とされ、まことに野趣豊かな、単においしいものを食べる以上の楽しさが味わえるものであります。

鴨ではやはりマガモかコガモがおいしく、入念に羽根抜き、毛抜きしたものを胸肉の中心が赤~ピンクの状態になるくらいにオーブンでローストします。ソースは肉をはずしたガラにだし汁(フォンドボーなど)、鴨の血や生レバーペースト、赤ワイン等を加えて加熱しそれを濾してつくるやり方がすごく好いと思います。

キジは低温でふっくらと焼き上げ、ソースはそのガラと野菜のだし汁、白ワインでつくるあっさりしたものがとても良く合います。

鹿は頚か頭部を狙撃し、よく血抜きし、さらに早く冷却されたものを用い、炭火で焼くのが私の好みです。個人的にはレアが大好きですがピンクに仕上げてもおいしく、ソースは濃厚なのも好いですが、甘みのないあっさりうす茶色のソースもうまいものです。

イノシシはできれば、よく肥った雌を脂身を傷つけずにきれいに毛取り、皮むきし、これをグリルすればすばらしい肉のうまみと、豚と違って全く臭みのない、脂のおいしさを味わうことができます。また、ばら肉の赤ワイン煮込みもとてもおいしいものです。

こう料理のお話をすると「たしかにうまそうに思えるけど、でも実際野生の肉ってくさいよね」とか、「くせ強いんじゃないの、固いでしょ」とか、聞こえてきそうな気がします。では、飼育場や養鶏場で飼われている牛や鶏の肉はくさくなく、野山にいる鳥獣の肉はくさいのでしょうか?私はそうではないと思います。まず言えることは、肉屋で売られている肉は最高の条件下で手早く完璧に食肉処理され、冷却保存されたものであり、羽毛が少しついたままの鶏や、血抜きが十分でなかったり、半日ほど常温に放置された牛の肉などが店頭に並ぶことは絶対にないのです。かたや私も昔は山の上で鹿を撃って、その場で解体し、まだ温かいままビニール袋に入れて、リュックで背負って持って帰って来ていました。これでは肉に残った血液などから、部分的に腐敗が進むと思われます。鹿肉がくさいと思っている人は、こんな肉を食べさせられたのかも知れません。おいしい鹿肉を食べるには車に比較的近い所で鹿をネックショットし、すぐ血抜きして、できるだけ早く解体場に吊るし皮を剥ぎ、冷やす必要があるのです。
11-2次に野生の獣類に関しては捕獲する時期による問題もあります。生殖に関連した、においの問題であります。これは雄についてであり、雌についてはほとんど関係ありません。獣類の雄は繁殖期になるとフェロモンが分泌されるらしく、肉にもムスクのようなにおいがつくことがあります。この現象はとくにイノシシで顕著であり、繁殖期に獲られた雄のイノシシにはこのにおいがあるようです。化粧品にも使われるムスクの香りで、本来臭いものではないのですが、食べ物についているとかなり気になってしまいます。これなども野生の肉はくせがある、などと言われる原因かもしれません。食肉用の家畜の雄は、ほぼすべて去勢されています。その主たる目的は雄が興奮して暴れたり、雄どうしがけんかをするのを防ぎ、狭い所でも飼い易くするためですが、副次的に繁殖期のにおい防止にもなっているのかなと思います。

25年近くも前のことですが、根室の牧草地で大きな雄鹿を獲ったことがありました。その鹿はなんと170キロもあり、内臓を出してからでも2人で車につむのに大変苦労しました。この鹿の片方のロースを東京のあるフランス料理屋へ持って行ったところ、「うちは旭川から鹿を取っているが根室の鹿は固い、やはり鹿は旭川がいい」と言われてしまったのを覚えています。たしかに大きな雄鹿のなかには肉の固いのがいるようですが、これは鹿の年齢に関係しているのではないかと考えられます。

鹿を追っていると、その運動能力の高さを見せつけられることが、しばしばあります。山の斜面を時速40キロ以上で疾走しますし、高さ3メートルの崖を一っ跳びで上がったり、雪原で車高を上げた四駆車両の屋根の上を軽々と跳び越えて行きます。このような鹿の腿の筋肉ですが、その味はしっかりと肉らしく、しかもとてもやわらかくおいしいものです。鍛え上げられた鋼のような筋肉などと言い、よく使われた強い筋肉は固いとのイメージがありますが、少なくともジビエに関してはそのような事はないと思います。狩猟では老齢の個体を獲る可能性があるというものの、比較する家畜の肉が半分は脂を噛んでいるような霜降り牛肉でもないかぎり、通常、鹿やイノシシや鴨が家畜や家禽に比べ、特に肉が固いとは言えないと思われます。

ところでファーストフード店に売られている、チキンナゲットなるものを召し上がったことがあるでしょうか?カラフルできれいな容器に入った、1コが6x3x1.5cmほどの少し変形した直方体の揚げ物で、中身の食感はボソっとした、ちくわかはんぺんのようで、噛むと強めの化学調味料の味の中に僅かに鶏のような味のする、全く何を食べているか分からないようなすばらしい食べ物です。

子供のころクリスマスの会に親に連れられて行くのがとても楽しみでした。そこには脚の先に白い紙の飾りのついたローストチキンが銀色のお皿に載せられているのです。この段階で周囲には得も言われぬ鶏のおいしそうな香りがしており、さらにそれを切り分けてもらい、好物の脚の部分が自分の皿に載るころには、鼻腔は鶏のいい匂いで満たされます。脚の部分はもちろんのこと、脂の少ない胸肉にもしっかりとした鶏肉のうまみと鶏臭さがありました。あの頃の鶏肉は味も香りも現在のものよりだいぶ強かったようで、いきものを食べている実感がありました。そういえば鶏嫌いの子も多かったかもしれません。

今チキンナゲットが嫌いという子はほとんどいないと思われますが、鶏肉成分以外にコーンスターチ、コーンオイル、乳化剤、増量剤、抗酸化剤だのをたっぷり入れた、骨なしの同じような形に成形された、大量生産の工業製品のように何に由来するものかよくわからない、すなわち動物を殺している事を忘れさせてくれるような食べ物がだんだんに増えて、皆がそれに慣らされていく反面、肉には肉らしい味や香りを求める人々の欲求が昨今のジビエブームに現れているのかもしれません。

11-3そもそも家畜、家禽とは何でしようか。もちろん豚はもとはといえば野生のイノシシを飼い馴らしたものですし、アヒルは鴨を生け捕りにして飼い始めたのでしょう。そして牛はオーロックスを家畜化したものです。オーロックスは過去にヨーロッパ、アジア、北アフリカに広く分布していた野牛で、1627年に最後の1頭がポーランドで死んで絶滅したのは有名ですが、この動物は肩までの高さが2メートル近くもありました。人類はこの巨大で獰猛な野牛を小型でおとなしい肉牛や乳牛に品種改良してきたのです。
人はこのように掛け合わせなどにより、家畜の体型や性質を自分に都合のよいように変化させてきましたが、では肉を食べやすく、やわらかくなるように改良してきたのでしょうか。ごく近年の我が国でのブランド牛、ブランド豚などの例外を除いては、ふつうはより少ない飼料でより早く育ち、より効率よく肉がつき、より密集して飼えて、できるだけ手間がかからないように、つまり生産する側に有利なように改良され、消費者の嗜好によって改良されてきたものではありません。

アメリカの肉牛は生後9か月を過ぎると、約15か月で食肉加工されるまで一切草を与えられないそうです。トウモロコシでつくられた飼料を始め、タンパク剤、食肉処理場から運ばれた牛脂!抗生物質、ステロイド剤、などを食べて、たった15か月で体重550キロの立派な成牛に育つのです。肉が付きやすく、穀物食に耐えるという遺伝的特徴をもつ種牛の冷凍精子と、高カロリー飼料と薬剤の成果ですが、元来、牛は草と水だけで大きな体を維持できるように高度に進化した純粋な草食動物です。4つの胃を持ち、第1胃に存在する細菌の働きと反芻することによって、植物体の堅固なセルロースを消化分解できるのです。しかし、この動物に穀物と脂を食べさせると本来中性の第1胃の中は、我々人間の胃の中のように酸性化し、時に胃壁を溶かし、そこから血液中に細菌が入り込み、肝膿瘍を形成するという弊害が起きます。更には酸性化した第1胃で酸性に耐性を獲得した牛の消化管内の細菌が牛肉や内臓とともに私達の口に入っても、私達の胃酸はこの細菌を殺すことができません。この細菌がたまたま高い病原性を持っていたのが、病原性大腸菌O157であります。我が国で最近飲食店における牛生レバーの提供が規制されたのはこれらの事に関係があるかもしれません。いずれにしてもアメリカでは企業化された巨大な飼育場で、膨大な数の肉牛が高度に効率化された一定のやり方で肥育され、同じような品質の肉が大量に消費されているようです。

また肥育場に飼料として大量に搬入されるトウモロコシに目を向けてみましょう。アメリカ中西部のコーンベルトと呼ばれる穀倉地帯では、もともと他の穀物に比べて光合成効率の高いトウモロコシを、最近では遺伝子操作まで行ってつくられる、より病虫害に強く、より密に植えることができ、最も収量の高い遺伝形質を持った種子のみを、土壌が耐えうる限界まで大量の化学肥料を入れた土地に播いてつくります。ほぼ完全なトウモロコシの単一栽培で収穫期にはこの最も効率的な植物の単調な緑が地平線まで続き、農場というよりは工場を連想させる風景であるといいます。牛や豚や鶏が飼われ、牧草や小麦、大麦などの穀類、ジャガイモや根菜類、葉野菜や果樹が植えられる、多様性に富み、土壌も含めて全てを循環的に養え、化石燃料など使わずに太陽光線のエネルギーを巧みにいろいろな食物に変えられる、古き良き自己完結型の農場などもうほとんど存在しないようです。

さて人間の歴史の中で最も活発に狩猟が行われ、多くの獲物が獲られていたのはいつの時代でしょう?我々の祖先がマンモスを始め数種の大型草食獣を絶滅させた可能性のある第四氷期の終り頃でしょうか、それともヨーロッパから渡って来た白人達が北アメリカ大陸でアメリカバイソンを絶滅寸前まで追い込み、50億羽以上もいたといわれる旅行鳩を絶滅させた頃ですか。いいえ違います。それは20世紀後半から現在にいたる時期です。狩猟と言っても銃や弓を使う陸上の狩りではありません。大規模な罠を使う海洋での狩猟、すなわち漁業です。

すし屋にいくとネタケースの中には色とりどりのたくさんの種類の魚介類がきれいに並べられています。岸辺にすむ貝類や甲殻類から外洋の回遊魚まで、まるで水族館か魚類図鑑のようであります。すしという単純な調理法であるにもかかわらず、魚介の味はそれぞれに個性的で特徴があり、人の味覚と自然界への興味を十分に満足させてくれます。すしはまさに海のジビエ料理であり、私達日本人は四季を通じて自然の味覚を楽しむ事ができる、まことに幸せな環境にあるといえます。とはいうものの、世界的規模の魚類の乱獲は非常に重大な問題であります。とうとうクロマグロの完全養殖も始まり、サーモンについては穀物の餌で育てられるものが出現しつつあるそうです。天然資源を減らさずに食糧を合理的に供給していくのはとても大切なことですが、食材の多様性を維持し、ひいては社会の多様性も維持していきたいものです。

今年は関東地方に大雪が降り、交通機関にも大きな影響が出ました。羽田発着便は200便以上が欠航したそうです。昔にくらべるとずいぶんたくさんの定期便が飛んでいるものだなと思いました。世界には膨大な数の定期航空路線とジェット機がありますが、そのジェット機のほとんどがたったの2社、つまりアメリカのボーイング社とヨーロッパのエアバス社によって造られています。物事を合理化し、無駄を省き、経費を少なく、利益を確保しようとするとどうしても単純化、単質化、単一化は避けられないもののようです。マニュアルもできるだけ単純に単一にし、シミュレーターの種類も少なく、パイロットも全員同じようにくりかえし、マニュアルどおりよく訓練されていて、より合理的でより安全です。知恵と勇気で乗客を窮地から救いだすマッチョなキャプテンなどは、とうの昔にお払い箱というわけです。

11-4我々人類は雑食動物です。石器時代から色々なものを食べて生活してきました。果実、野菜、肉、魚、多様な物を食べる事ができ、また多様な物を食べたほうが健康に生きられるように進化したといえます。しかし今まで述べてきたように、人類がより効率よく食べ物を獲得し、より効率よく生活しようと工夫した結果、一部に問題も生じています。食に限って言えば食物の多様性の減少と食品に含まれるあまり健康的とは言えない物質の存在です。
全く効率的ではないハンティングという手段で私達が得る鳥獣は、おいしく食べられるようにちょっと気を使ってもらえれば、栄養豊富でカロリーも高すぎず、抗生物質などの薬剤も含まずとても健康的でおいしい食材です。おいしく食べられるように猟のやり方も工夫して、獲物はじゅうぶん利用していただきたいと思います。

我が国では平和な時代が長く続いて、社会はより洗練され、より効率化され、より厳密に管理されるようになっているようです。ながい目で見ると我々の社会にも、恐竜が絶滅しても哺乳類や鳥類が生き残ることのできる生物界のような多様性もまた重要であると思われます。芸術を愛する人、ゴルフが大好きな人、研究する人、おしゃれな人、サーフィンする人、そして狩りをする人、色々な無駄にこそ更なる前進のヒントがあるのではないでしょうか。

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