狩猟は人間が自然と共生する手段

6日本は森林の国土に占める割合は約7割と先進国の中で圧倒的に大きく、約3,800万平方キロという狭い国土面積にも関わらず、30万種もの生物が生息し、又日本国有の在来種が4割を占めるなど、極めて多様性が高いという特徴があります。しかしながら、我が国の生物多様性は、大きな危機に直面しています。その一つは、社会経済の発展に伴い、里地里山を中心として行われてきた農林水産業の衰退と山村地域人口の減少や高齢化を生じたことに起因していることです。もう一つは、野生鳥獣の個体数の調整に直接的に貢献するのが狩猟ですが、その狩猟者の減少にあります。

1980年代には、狩猟登録は50万件以上で、狩猟が社会的ステータスとなっていましたが、その後、銃規制の強化及びレジャーの多様化等により、狩猟登録数も2013年には、13万件と激減しました。今我が国は、世界に類をみないシカ、イノシシ等の異常な増加が農林水産業をはじめ生態系にも大きな影響を与え、正に鳥獣被害は大きな社会問題となっています。その解決には、有害鳥獣であるシカ、イノシシ等を狩猟及び有害捕獲により個体数を調整し、適正な生息環境を取り戻すことです。その為には、狩猟者の育成と、調和のとれた狩猟行政を確立することです。

日本の狩猟文化は、欧州のスポーツハンティングと異なり、農村社会から生まれたと言われています。江戸時代、日本には150万丁もの火縄銃があり、世界一の銃保有国だったそうです。なぜ、これだけの銃があったのでしょうか?それは、農民が農具として確保していたからです。農家は、農繁期には庄屋から銃を借り、有害駆除を行い、農地を守り、農閑期には全ての銃を回収し一定の場所に保管していました。当時は仏教の動物の殺生戒布や、生類憐みの令、又、銃砲改め等、銃砲には厳しい時代でありましたが、一方、銃は農業生産に不可欠な道具であるとし、所持が容認されてもいたのです。

明治、大正、昭和の時代は、シカ、イノシシは食材として、シカ、ウサギ、タヌキ等は毛皮製品として、地域経済を支えてきました。例えば北海道の開拓時代は、エゾジカが地域経済の救世主として、年間13万頭捕獲され、缶詰や革が欧米に輸出されました。又、昭和13年から昭和20年まで軍部の要請により猟友会は、野兎の毛皮・羽毛を収集、昭和19年には、野兎の毛皮60万枚、猪の毛皮8万枚、鹿皮1千枚、羽毛約5千貫を軍部に供出しました。その結果として、シカ、イノシシ等が激減したため、戦後は一転しての保護政策に転じ、一定の成果を収めることとなりました。

狩猟には、いろいろな楽しみがあります。山、川、海、湖といった自然を体感しながら、野生鳥獣との出会う楽しみ、自らの知恵と腕で、あるいは愛犬や猟友とのチームワークで獲物を狩る楽しみ、そして自ら狩った獲物で季節を味わう料理を作り食べる楽しみ。このような多くの楽しみが一体となって狩猟に奥の深さ、幅の広さを生み出しています。又、自然からの贈り物であるシカ、イノシシの肉は、栄養、健康、美容上の効果に優れています。こうした自然の恵みを食材として美味しさを楽しみ、身近な環境保全貢献活動として、日々食卓に取り入れていくことも大切です。

ヨーロッパでは、狩猟者の社会的ステータスが高く、社交界にデビューするには、狩猟免許の取得が欠かせない条件の一つといわれています。日本では狩猟者は唯一の野生動物管理者であるにも関わらず、その役割を正当に評価されていないジレンマがあります。これからは、国民から信頼・尊敬される狩猟者、あるいは猟友会になるよう努力するべきであります。

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