ロイヤルハンティングを継ぐ現代の狩猟家への提言

1 銃砲文化が華やかに発展してから暫く経った20世紀の初頭、欧米の富豪や貴族達の間では、アフリカで猛獣狩りをすることが一種のステータスと見なされた時代がありました。

 一方日本では、明治・大正・昭和の時代にわたって、英国をはじめヨーロッパの国々から鳥獣についての狩猟文化が押し寄せ、華族をはじめ町の旦那衆までが鳥猟を楽しんだといわれています。

 しかし現代では、外来動物やシカ・イノシシの増殖による農林産物に対する食害や、キツネ・タヌキ等の増殖によるウズラ・キジ・ヤマドリ等が減少している事実など自然界のバランスの不均衡が進んでいるのが実情で、狩猟界を取り巻く環境は年々厳しくなっています。

 自然環境の変化や地域社会の変革によって、特定の鳥獣だけが大幅に減少したり、あるいは反対に著しく増加したりと、生態系に重大な影響が及んでいる現代は、狩猟者の理想とする、調和の取れた狩猟資源が確保されていない状況に直面しています。

 従って、私達の狩猟は生態系を維持するための役割、即ち従来の趣味・スポーツとしての狩猟からは脱却し、「野生鳥獣の保護」「農林業の被害防止」の両面の調整者(森の番人)としての社会的役割を担うことが必要となっています。
しかしこのような狩猟は「鳥獣被害防止のための有害駆除」活動が主体であることが多く、英国等ヨーロッパから伝わってきた本来の狩猟文化は、残念ながら薄れつつあるのが現状です。狩猟は先人から受け継がれた伝統ある食文化の一端を担い、私達には、この文化を子々孫々に伝えていく義務と責任があると思います。

2 ここで、鳥猟文化についての先人のエピソードを1つご紹介いたしましょう。時は大正10年(1921年)、昭和天皇がまだ皇太子でいらした時代、英国・フランス・ベルギー・オランダ・イタリアのヨーロッパ5カ国を歴訪された折の話です。

 当時、飛行機はまだまだ物騒な代物でしたので、皇太子は巡洋艦「香取」に乗船して各国を歴訪されました。
5月9日、英国に到着した皇太子一行は、当時の英国国王ジョージ5世から大歓迎を受けられました。
 当時英国では、社交として料地での狩猟が盛んであり、ジョージ5世は殿下をカモ猟に招待されました。

 猟具は招待者側が準備するのが慣例となっており、英国側が殿下に用意したのは、水平二連銃(グリーナーのペアガン)でした。しかし殿下は、英国訪問に先立ってベルギー王室から当時最新鋭のブローニング 自動5連銃を贈られ、得意満面でいらっしゃいました。このブローニング自動5連銃を 英国でのカモ猟にお持ちになったところ、国王ジョージ5世は殿下にこう仰せになったのです。「殿下のご用意されたブローニングは大変見事な銃です。
 しかし、私どもの国では 二連銃が主流です。飛び出した鳥をこの水平二連銃でトン、トンと撃って、鳥が飛んで行ってしまったら鳥の勝ち、ハンターの負けです。猟はあくまでスポーツです。5発撃てば鳥を落とせるかもしれませんが、それはスポーツではありません。」と。

 英国国王のこの言葉に殿下はすっかり感激し、以後このグリーナーの水平二連銃を大切にされたという事です。ここに、まさに鳥猟文化、ロイヤルハンティングの真髄を見た気がいたします。

 昔から鳥猟は、「1.犬、2.足、3.鉄砲」もしくは「1.足、2.犬、3.鉄砲」と言われており、犬の猟芸を見ながら猟をすることは実に美しく、楽しいものです。獲物を捜索する犬、認定・ポイントされたキジ、主人の号令で飛び込む犬、ゴトゴトと飛び出すキジ、これを一発で仕留める、これはまさに芸術です。鳥猟は犬次第だと言う狩猟家も多いですが、我を忘れるようなこの一瞬の緊張感こそ、鳥猟の最大の醍醐味と言えるでしょう。

 近年、動物保護運動が盛んになり、自然保護論者は獲物の捕獲そのものに反対する傾向にあります。それは鯨や鮪などにも及んでいます。そのようななかで現在の狩猟家に、現代社会で狩猟行為そのものを正当化できるだけの理論を言える人間が少なくなってきたように感じます。

 ロイヤルハンティングにみる、この伝統ある狩猟文化を将来まで守ってゆくためにも、「鳥や動物を殺すなんて可哀相に」と言われたら、狩猟家として堂々と反論・正論を言う知識と、先人から受け継いだ誇りとを持って、日々活動していかなければならないと思います。

You can leave a response, or trackback from your own site.

Leave a Reply

You must be logged in to post a comment.